相場が動くと、封印したはずの血がまた騒ぐ・・・

MONEY

人生の残り時間では、もう相場などに煩わされず、釣りやゴルフなどの趣味に没頭して過ごしたい。今まで散々、相場には振り回されてきたんだから・・・ なので相場とは距離を置いて、本気で関わらないようにしよう、と思っていた。しかし、足元の歴史的変動を見ていると、またゾロ血が騒いでくる。

まだ『FIRE』という概念もない時代に『FIRE』を目指していた

まだ『デイトレ』という単語も、『FIRE』という概念もなかった時代に、相場に心血を注いでいた。血気盛んな20代、30代の頃は、「相場で儲けて大金持ちになって、トットと会社なんて辞めてやる!」と息巻いてた。今でいう『FIRE』を目指してた、ということだろう。仕事が株のアナリストやファンドマネージャーだったので、仕事と趣味?が一致していたというのもあって、一日中、相場にドップリ浸かりながら生きてた。

毎朝起きてすぐ『モーニングサテライト』を見てニューヨーク市場の結果を確認し、日経新聞をスミからスミまで読んで出社。昼間は会社のQuickを終日眺めて、夜は『ワールドビジネスサテライト』でダウの寄付きを確認してから眠りにつく。そんな生活を飽きもせずにずっと続けていた。

今ほどネットが発達してなかったので、情報源はもっぱらテレビニュースと新聞、そして「セルサイド(証券会社)情報」が中心だった。仕事で内外の大手証券会社の著名アナリストやストラテジストとミーティングや、情報交換会という名の接待などで、いろんな分析や提案を聞いた。しかし、私はほとんど彼らの提案には乗らなかった。

著名アナリストの予想は「当たるも八卦の占い」?

本当に相場が上手くて当たるのなら、他人にアドバイスなどせず、自分で儲けてとっくにサラリーマンなど辞めているはずだから。いくら高額年俸とはいえ、まだサラリーマンをやっているということは、私と同じように、まだ相場だけでは食えない、と白状してるようなものだろう。だから「当たるも八卦の占い」ぐらいに思って彼らの話を聞いていた。

個別銘柄は仕事で嫌というほど分析したが、個人で個別銘柄を買うことは禁じられていたので、個人資金では専ら先物やオプション、ブルベア投信で日経平均などのインデックス相手の丁半バクチをやっていた。

短期のインデックス運用は丁半バクチと同じ

短期のインデックス運用など、ほぼファンダメンタルズなど意味がないから、ロングとショートの両方を使って短期の値動きだけを当てにいく。上がるか下がるかの上下ですらなく、チャートブックを横向きにして、右か左かの左右でもよい。まさに丁半バクチだ。

ファンダメンタルズを使うのは、せいぜい「雇用統計」などの重大経済指標をイベントドリブン的にやるぐらいだ。それもバタフライで持ってリャンメン待ちしたりするから、統計の内容など良くても悪くてもどっちでもよく、とにかくサプライズで相場が大きく動きさえすればよい。

そもそもオプションなんて期限が1ヵ月しかないのでまさにデイトレ。なのに日中は本業の運用をしているので個人のポジションはさわれないから、全て出勤前に発注していく。昔は「逆指値」や「返済予約注文」なんて便利な機能もなかったから、場が始まる前に一日全体の日経平均の高安を予想して、高値でプットの買い指値、安値でコール買いを入れていく(短期でも私の基本スタイルは「逆張り」なので)。結果的に、どんなに予想と違う動きになっても、場中に修正はできないので(これは自分で定めた鉄の掟!)、事前に出した注文は粛々と執行されていく。思惑とは逆に、高値で買って安値で売って、となっても・・・

「大リーグ養成ギブス」を付けて奮闘する日々

そんな色々な制約やハンデを負いながらも、「これは大リーグ養成ギブスなんだ!こうしてハンデがある中で勝ってこそ、真の実力がつくんだ!」と信じて奮闘していた。

それでも調子のいい時はドンピシャ当たることもある。そういう時は、日中の天底両方とも取れたりして大ハシャギだ。野球でいう「ボールが止まって見える」状態や、ゴルフの「ゾーンに入る」ような時期もあった。

そんな好調が半年も続くと、オプションなら100倍くらいにはなる。30代のころ、元手の数十万円が半年でベンツの赤、白、黄色の3台でチューリップ畑ができるぐらい勝ったこともある。結局、ベンツを買うこともないまま、そのあと相場で全部スッたけど、、、あの時、全部を次にブッ込まず、1台ぐらい買っておけばよかったなぁ、とこの年になると思えるが、血気盛んな若かりし当時は、そんなユルイ逃げは許せず、常にフルインベストだった。

そんな勝ちも負けもイヤというほど経験し、その時にどんなメンタリティになるかもよく分かっているつもりだ。

「曲がってる」時の精神状態とは?

数千万円ぐらいの個人資金で遊んでる分にはまだいいが、何千億円という仕事で運用しているファンドがやられている時にどういう精神状態になるか? 経験した人は分かるだろうが、当然、尋常の精神状態ではいられない。

会社中の人間が自分のことを嘲笑しているように感じ、顔を上げて社内を歩くことすらできない。麻薬患者が陥るような、いわゆる被害妄想状態になる。当然、夜はうなされ、やがて、相場を見ることもできなくなってくる。相場を見ないから更に曲がる(注)、という悪循環にどんどん陥っていく。

(注)「曲がる」とは、運用業界の隠語で、相場予想が外れることを「曲がる(まがる)」、予想を外す人を「曲がり屋(まがりや)」という。

【使用例1:会議室にて】「自分は最近、曲がってるから、私の予想は参考にしない方がいいですよ」

【使用例2: 社員食堂にて】「あれ?曲がり屋でも昼飯は食べるんだ? メシ食ってるヒマがあったら、早くファンドのパフォーマンスをなんとかしてくれよ。」

そんなことを何度も経験しながら、段々と図太くなっていく。

「誰もみな、勝つことだけを信じて、賭けを続ける」

自分でいろんなモデルを作っては「これで世界を獲った!」気になったり、せっかく自分で開発したモデルのサイン通りに張れない心の弱さを悔いたり、休みの日に幼稚園児の息子を膝に乗せて会社四季報を読み聞かせたり、、、今となってはすべて懐かしい思い出だ。

だから今、皆さんが楽しそうに?相場と向き合っている姿はかつての自分の姿。勝っても負けても、どうぞ楽しんでください。自分の相場観を頼りに短期でドタバタやるのは「投資」ではなく「投機」、すなわちバクチなので、競馬やパチンコと同じように楽しめばそれでいい。バクチは儲けるどころか、やり続ければいずれ負ける。最後はショバ代、つまり手数料分だけマイナスで終わる。私も「株で大金稼いでトットと会社なんか辞めてやる!」と夢見ながら、結局、サラリーマンを30年以上続けている。あそこでやめてればなぁ、という場面もあったが、結局、相場で稼いだアブク銭は相場でスル、というのはバクチと同じ。

「誰もみな、勝つことだけを信じて、賭けを続ける」(by浜田省吾「愛の世代の前に」)

どんなことがあっても「自分だけは儲けられる」と思い込んで賭け続ける。そんなことあるはずないのに・・・

そんな私が投資でたどり着いた結論とは??

今は「相場なんて上がったら下がるもんよ」と達観し、残り少なくなった時間を相場に取られたり、心を煩ったりせず、心穏やかに日々過ごせることを願うばかり。しかし、今でもやはり、大相場を見ると心がザワつく・・・

こんな私が投資でたどり着いた結論。それは、

「ドルコスト平均法でのインデックス買いに勝つのは至難の業だ!」というものだ。

次回、詳述する。

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