釣り具を擬人化するオッサン
「オモリが底に着いたらベイルを返してアゲる。次に糸がピンと張るように少し巻いてアゲる。それから竿を50cmぐらい上下に揺らしてアゲてください」
テレビの釣り番組などを見ていても、やたらと「してアゲる」話法を耳にすることが多い。若い女性が言うならまだしも、いい歳をしたイカツいオッサンまでが「アゲる」を連発する。
「モノ」をまるで生き物のように擬人化?し、優しく、丁寧に、いたわってアゲる。当人(モノ)はそんなこと望んでないのに。竿自身ガ「上下に揺らして欲しい!」と思ってるか??
見ていると段々イライラしてきて、思わず「おまえの釣り具は生きてるんか!?」とツッコミたくなる。

生きている釣り具?
「その魚はもう死んでいる!」
女性料理家が解説する料理番組などはもっとひどく、語尾はすべて「アゲる」一色だ。
「さばいたお魚の水を切ってアゲたら、塩をかけてアゲて、ラップをしてアゲたら、しばらく冷蔵庫で冷やしてアゲてくださいね」と。
その魚はもう死んどんねん! ナンボほどいたわってアゲるねん!!

お前はもう死んでいる!
ケンシロウの「お前はもう死んでいる!」ではないが、「その魚はもう死んでいる!」と言ってやりたくなる。
とても聞いておれず、思わずチャンネルを変える。

その丁寧さは誰に向けてのものなのか?
そもそも、生きてもいない「モノ」に対して、生き物に対するかのような丁寧な表現を使う意図は何なのか?
対象であるモノそのものに対する丁寧さなのか? それともテレビを見ている視聴者に対しての丁寧さなのか?
何事に対しても、優しく、丁寧に、という令和の風潮の一環で、人や生き物に対してだけでなく、モノに対しても、「私はいたわりの気持ちを持つ優しい人間なんですよ」というアピールなんだろうか?
子供時代のままごとの延長?
モノに対する丁寧さであれば、似たような光景が思い浮かぶ。幼児たちが人形や調理器具などのおもちゃで「ままごと遊び」をしているシーンだ。
「人形」はもちろん「赤ん坊」として擬人化する。さらに、鍋でも包丁でも、すべてのモノを生き物のようにやさしく可愛がる。親がそのように躾けるからである。
「そんなヒドイことしたら、○○が泣いてるわよ」と母親がモノを擬人化する。もちろん、モノを大切にせよ、丁寧に扱え、という教えなのだが、大人になってもそのままの発想でいるということか?

ままごとの名残りなのか?
モノを大切にする気持は内に秘めればいい
モノを大切にするのは大変いいことだ。私もモノも含めてその天寿をまっとうさせてアゲるべきだと常々思っている。

しかし、大の大人がモノに向かって「○○ちゃん、痛くないでちゅか?」とやっていたら、それは気色悪い。
私が、先程の記事に出て来るキャンピングカーに向かって、「今日もいっぱい走ってくれておちゅかれさんでちたね。汚れたからキレいに洗ってあげまちゅね」と洗車場で呟いていたら、周りの人たちはみな遠ざかっていくだろう。

大手術で延命させたキャンピングカー
「アゲる」話法によって、それと同じようなことが公共の電波や日常会話の中でまかり通っているのだ。オモリやリールを擬人化して優しく話しかけたいなら、自分の家の中でどうぞ! 公共の場での「ままごと」は大人のすることではない。
モノに対する感謝の気持ち・労りの気持ちは心の中にしまって、一人でそっとなでてやればいい。
本当は「優しい自分」アピール?
令和の世に氾濫する、いとわろしな「アゲル」話法! 大人になってから幼児化する退行現象の一種なのか?それとも、空中100mに住むタワマンライフと同じく、これも現代の奇習の一種なのか?

おそらく実態は、モノに対する愛着からではなく、モノに対しても優しい自分アピールの方なんだろうな。
