前回の記事との「堤防つながり」ではないが、先週の「印旛沼の堤防」に続き、今週は「荒川の堤防」についての話だ。

初めて「ニューポート江戸川」マリーナへ
旧江戸川の浦安駅近くに「妙見島」という中州があり、そこに「ニューポート江戸川」というマリーナがあることを知った。

初めてのニューポート江戸川へ
以前に書いた「浦安マリーナ」同様、千葉の自宅から近いマリーナということで、今後の釣りの拠点とすべく、今回初めてそこのイベントに参加してきた。それが「荒川ロックゲートクルージング」だ。

荒川ロックゲートクルーズへ出発!
船長が操縦するボートに6人で乗り込み、マリーナから旧江戸川を下り海に出ると、ディズニーリゾートを左手に見ながら右折する。そして、葛西臨海公園前に広がる「三枚洲」(注)をグルリと回って、荒川に入って上流へと向かう。清砂大橋、葛西橋をくぐって船堀橋の手前まで来た時、左の土手に茶色い大きな門が見えてきた。それが「荒川ロックゲート」だ。

荒川ロックゲートが現れる!
外側から見てるときには、「大きな水門」ぐらいにしか思ってなかったが、実際に中に入ってみると、面白い色んな初体験ができた。
(注)三枚洲:東京湾にある大きな干潟。潮干狩りのメッカになる浅瀬で、水深が浅いので、船は座礁に注意が必要なエリア。

いよいよゲートの中へ・・・
「パナマ運河方式」を東京で体験!
しばらく水門の前で船を停めていると、何の合図も送らなくても、勝手に巨大な門が上がる。信号が青になったのを確認して、門をくぐって「閘室(こうしつ)」と呼ばれるコンクリート製の水路の箱の中に入って行く。船が門の下を通る時に水滴がたくさん落ちて来るので、船の上で傘をさす。

ナゼか船の上で傘を・・・
船が完全に閘室に入ると、通ってきた門が下がり始める。船長は船を閘室の側壁に近づけ、両手で壁にしがみついた。なぜそんなことをするのか後から分かったが、閘室内の水位が急激に変わるので、船を真ん中に浮かべていると水流で流されてしまうため、壁にしがみついて船を固定するのだそうだ。そこは結構、原始的である。

閘室の中はこんなかんじ
荒川の水位の方が3mほど高いため、荒川側から入った場合は、閘室内の水を抜いていくことになるので、船はどんどん下がっていく。

どんどん水位が下がる
その間ずっと、手で船を壁に固定しておく。排水が止まったら反対側の門が上がり、船を動かしてそこから出て行く。門の下を通る時は、また水滴除けのために傘をさす。船長曰く、なぜか出る時の門の方が水滴が多いそうだ。
こうして無事、荒川からロックゲートを通って、3m低い旧中川に出た。

無事、ロックゲートを通過!
「荒川ロックゲート」とは?
今回行ってみるまで、私は「荒川ロックゲート」なるものの存在も、名前も知らなかった。こんなに近くに長年住んでいるにもかかわらず。一体、何者なのか?
約20年前の2005年に荒川の土手に出来たもので、比較的新しい。最大水位差約3mある荒川と旧中川を、船が通行できるようにするための水位調整機構として作られたものだ。水位に差がある地点をつなぐ「船のエレベーター」で、「パナマ運河式」の「閘門(こうもん)」だそうだ。
「片側ゲート開放→船が入閘→ゲート閉鎖→給排水で水位調整→反対側ゲート開放→出閘」という一連の手順を経て船を通すので、所要時間は20分ほど必要だ。

パマナ運河式「船のエレベーター」
長さ55m、幅12m、高さ4.5m以下の船なら、タンカーから小さなカヤックまで、一台だけでも巨大な閘門を動かして通過させてくれる。しかも、ナント無料で!
重厚な門を上下させるだけでなく、巨大なプール?の水を高速で給排水するのだから、1回のオペレーションでそれなりのコストが掛かると思われるが、それが全部タダなのだから、さすが財政豊かな東京都は太っ腹だ(笑)
ちなみに、本家のパナマ運河をコンテナ船が通るには、1回の通行料が1億円前後もかかるそうだ!(船の大きさと積荷の量で決まる)

大型船から小船一隻までタダで通れる
ロックゲートから「小名木川」へ
ロックゲートを出ると旧中川を経て「小名木川(おなぎがわ)」へと繋がっている。この川の存在も私は初めて知ったが、歴史的にはとても重要な川だったそうだ。
荒川と隅田川を一直線に結び、「海抜ゼロメートル地帯」を横断する全長5kmにおよぶ水路で、江戸時代には、城下町・日本橋へ塩などの物資を運ぶ重要な「水の路」だったようだ。

今も昔も重要河川「小名木川」
荒川の反対側、隅田川に出るには、今度は「扇橋閘門」がある。こちらは1976年には作られていたそうで、この二つの巨大閘門によって、荒川と隅田川に挟まれた「海抜ゼロメートル地帯」が守られているのだ。

隅田川側には「扇橋閘門」が
「江東デルタ地帯」とは?
荒川ロックゲートを隔てて最大3mの水位差があるということは、荒川の西側の土地は3m低いということだ。ではなぜ、荒川の土手一本隔てただけで、同じ東京23区の中でこんなに違うのか? そこには東京の知られざる?歴史があったのだ(私が知らなかっただけですが・・・)
現在の荒川と隅田川に囲まれた三角州、いわゆる「江東デルタ地帯」の大部分は江東区である。この辺りは、もともと川の河口部の湿地や浮州(うきす)だったが、徳川家康の関東移封以降、大規模な治水対策と開発が行われ、どんどん海側に拡張された。

これが江東デルタ地帯だ
また、明治時代以降、昭和40年ごろまで、産業用水の汲み上げや水溶性天然ガスの採取が盛んに行われた影響で、地盤沈下が進んだ。そして「海抜ゼロメートル地帯」となったにもかかわらず、高度成長期に宅地化が進み、広域な市街地が形成されたのだ。
それを守るために、これまで様々な治水対策が施され、現在も続いている。その一環が、荒川土手に造られた「荒川ロックゲート」なのだろう。

防災の要としての役割も
「水害県?」の千葉県民として
最近、水害が多発している千葉県民としては、「堤防」や「アンダーパス」という言葉に敏感になっている。さらに私は、平日は、「海抜ゼロメートル地帯」がある江東区民でもある。なので、今回初めて知ったことだらけの「江東デルタ地帯」の現状や歴史に、人一倍強いインパクトを受けた。
ボートで優雅にクルージングを楽しんでいるこのエリアが、いざ大規模台風や大地震に襲われた時、どういう結果を招くのか。想像したくないが、確実に起こりうる未来として、改めて認識した。

一朝有事には・・・
「無知の知」シリーズの第2弾か?
今回、ひょんなことから「荒川ロックゲート」や「小名木川」「江東デルタ地帯」など、身近にありながらこれまで名前も存在も知らなかった多くのことをアラ還になって初めて知った。
「ゆでタマゴ」とはだいぶん規模が違うが、今回の体験も、「自分は何も知らないんだ」ということを痛感する出来事であった。そういう意味では、この記事は「無知の知シリーズ第2弾」でもあるかもしれない。

長年、通勤電車の窓から見ていた荒川周辺地域が、実は、どんな歴史を経て、だから現在こうなっているのだ、ということを知り、見慣れた風景が別の色に見えてきた。

車窓からの景色が違って見える?
下記の記事では、海抜ゼロメートルから湾岸タワマンを見上げて感じた思いを綴ったが、今回の体験を経て、改めて豊洲のタワマンの眼下に拡がる「江東区デルタ地帯」を眺めながら、その「水との闘いの歴史」に思いを馳せる。


