「私たちはお客様に寄り添います」
テレビを見ていると、こんなセリフを耳にすることが増えた。「してアゲル」話法と同様、最近、耳につくフレーズが「寄り添う」だ。

企業のCMやキャッチコピーなどで「寄り添う」が到るところに溢れている。実際にジェミニに調べてもらうと、出てくるわ、出てくるわ・・・
「お客さまの人生に寄り添う最良のパートナーとして」(第一生命)
「お客さま一人ひとりの人生に寄り添い、安心をお届け」(かんぽ生命)
「お客さまの挑戦に寄り添う存在になりたい」(みずほFG)
「お金のお悩みに応え、お客さまの人生に寄り添う」(三井住友銀行)
「お客さまの相続のお悩みに寄り添い、サポートする」(三菱UFJFG)
「あなたに寄り添うAIスマホ」(ソフトバンク)
相変わらずの業界横並び思想で、金融業界は「寄り添い人」だらけだ。なかでもメガバンクは、3行すべてが寄り添ってくるので、コッチも逃げるのが大変だ。
さらに銀行ではない「バンク」まで、スマホを介して寄り添ってくる。

すべての「バンク」が寄り添ってくる!
弱者が強者に「寄り添う」ことはない
この、企業が言う「寄り添う」という言葉に対して、私が妙に違和感を覚えるのはなぜなのか? それは、この優しげな言葉の背景に、実は「弱者への施し」という「上から目線の傲慢さ」が包含されているからではないか?
一般的に、「寄り添う」という言葉から想起される状態というのは、「相手の目線に合わせ、同じ目線から親身になって考える」というものだろう。
この「相手の目線に合わせる」というプロセスにおいて、もともと高さの違う二つの目線をどうすり合わせることになるか?と考えると、
「相手の高い目線に、自分の低い目線を、引き上げる」
ということは、「寄り添う」という表現においては、まずない。暗黙のうちに、
「相手の低い目線に、自分の高い目線を、引き下げる」
ということを前提としている。
立場の弱い側が、力を持つ側に対して、「寄り添ってあげる」とは決して言わない。「寄り添う」のは常に「強者」が「弱者」に対してなのだ。

中小企業の社長が、銀行の支店長に対して、「うちはあんたの銀行に寄り添ってあげるよ」などと言ったら、「勝手にベタベタしてくるな!分をわきまえろ!」と一喝されるだろう。
だから「寄り添う」というのは、「本当は自分たちの方が立場が強くて上なんだけど、あえて弱いあなたに合わせてあげますよ」という、強者の無意識の優越感が滲み出ている「上から目線」に感じるのだ。

「寄り添う」という名の傲慢さ
なので、コッチもこう言い返したくなる。
「勝手に寄り添って、くっついてくるな! 誰も頼んでないわ!」と。
実像とのギャップの大きさ
さらに、そう言っている銀行の実像と、「優しく寄り添う」という姿があまりに解離していることからくる違和感だろう。
「晴れの日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる」と融資姿勢を揶揄されてきた銀行。借り手の中小企業や個人などの生殺与奪権を実質的に握っている圧倒的な強者の立場の人間が、「寄り添います」と言っても誰も信じないだろう。むしろ、白々しさを感じるだけだ。

「優しいイメージ」による実態隠し?
逆に言えば、生殺与奪の権を握るほど実態がコワイ企業ほど、イメージをソフトに見せるために「寄り添う」を乱発して、無意識のうちに(あるいは明確な戦略として)目くらましをしようとしているのかもしれない。
なので、もし頼みもしてないのに勝手に寄り添ってくる人がいたら、それは優しい人ではなく、「実際はとてもコワイ人」かもしれないので、我々としてはサッサと逃げるのが賢明か?
何をしてくれるのか分からない曖昧さ
さらに、「寄り添う」というのは、具体的には何をしてくれるというのだろうか?
「相談に乗る」でも、「問題を解決する」でも、「儲けさせる」でもなく、ただ「寄り添う」だけ。
それっていったい、何をしてくれるねん?
まさか添い寝?? そんなもんいらんわ!
愚痴聞き? それならジェミニに言うわ!
「具体的な成果を保証するわけではないが、姿勢としては親身である」というニュアンスを醸し出すだけの実体のない便利な言葉が「寄り添う」の正体か?

「寄り添う」と「お客様」という呼び方に共通するもの
いずれにせよ、「寄り添う」という言葉のニュアンスだけで、実際に何をするのか分からず、中身を伴わない形だけの顧客本位という意味では、以前、下記の記事で書いたように、「お客様」という呼び方で糊塗する偽物の顧客本位と本質は変わらない。

【再掲】「現代用語の基礎体温」について
なお、この「現代用語の基礎体温」シリーズは、名著「現代用語の基礎知識」のパロディとしてバブル絶頂期の1990年前後に読売テレビで放映されたバラエティ番組「現代用語の基礎体力」を、令和の時代にさらに進化?させて、「ベストヒルズ倶楽部」にて復刻したものである。
ここでは、令和時代にはびこる「いとわろし」な「現代用語」を取り上げ、その根源に潜む「基礎体温」とも言うべき本質を分析するコーナーだ。
テレビ番組「現代用語の基礎体力」が、バブル期の熱狂が生み出した時代の歪みをパロディで痛烈に風刺した名番組であったように、ここ「基礎体温」では令和の狂気を鋭く指弾する。
と言っても、「基礎体力」の方すら誰も知らんやろうけど・・・
