「1千万かせぐ男になります!」
テレビの成人式のニュースで、街頭インタビューに答えていた新成人の言葉だ。これから社会に出て行く若人が、とりあえずイメージする成功者像が「年収1千万」ということなのだろう。
確かに、まだ自分で1円も稼いでない人から見ると、1千万円という金額はとてつもなく大きな金額に思えるだろう。1千万円も収入があれば、何でも買えて、やりたいことは何でもできて、優雅な生活ができるはずだ、と漠然とイメージする水準が「1千万円」なのだ。
実際、日本人の平均年収は450万円程度だから、「1千万円プレーヤー」は普通の人の倍以上稼いでいることになる。また、年収1千万円以上の人の割合は5%強に過ぎずないので、20人に1人しかいない「選ばれた成功者」というのもあながち間違いではないのかもしれない。(但し、あくまで「給与所得者」の中での割合なので、「自営業者」を入れた場合はもっと高くなるだろう)
しかし、実際に1千万円の年収があっても、税金や社会保険料などの負担も大きくなるので、手取りはその7割程度で、さらにそこから住宅やクルマのローン、子供の教育費などを差っ引いていくと、日常生活はカツカツというのが実情だろう。
家やクルマに子供もいて生活している時点で「勝ち組」ということなのかもしれないが、それらを除いたあとの本人自身の日常生活は、平均的な年収の人とさほど変わらないレベルになる。とても裕福さを感じられる水準ではない。
それでも人は、とりあえず「年収1千万」を目指す。
そして、フロー(年収)では「1千万円」が一つの象徴であるように、ストック(資産)では「1億円」が大きな目標になる。
いつのころからか「億り人(おくりびと)」なる言葉ができた。2008年公開の映画「おくりびと」をモジったものだから、ここ15年ぐらいの間にできた言葉なのだろうが、意味は全く異なる。映画の「おくりびと」は納棺師のことだが、「億り人」とは「1億円の資産を築いた人」のことだ。
なぜ、死者を弔う「おくりびと」と「億を稼ぐ人間」を結び付けたのか、不思議で仕方ない単語ではあるが、「1億円」が人生のゴールの一つの目安となっているから「億り人」なる固有名詞も生まれたのだろう。
本来、「億」という単位は、単なる一つの区切りに過ぎないはずだが、貨幣の単位として使われる時は、なぜか人を思考停止にさせる独特の響きがある。
「1億円」と聞くと、「すごい!」「高い!」「金持ち!」と情緒的な反応となり、客観的な貨幣価値以上の象徴的なニュアンスを持つようになる。9,000万円では驚かないが、1億円と聞いたとたん「スゴイ!」と思考停止に陥る。だから、とかくカネに関する基準は「1億円」が一つの目標になることが多い。
1億円もあれば「あれもできる、これもできる、何でもできる!」と漠然と夢想する。そこには理想的な桃源郷があると信じて。だから、無意識に、とりあえずは1億円を夢見るのだろう。今や都心のマンション1戸も買えない金額なのだが・・・ これが「億」という言葉の魔力なのか? あるいは「億万長者」という呼び名の名残りなのか?
1億円を稼ぐということの意味
では、「1億円を稼ぐ」ということの意味とはどういうことなのか?
そもそも貨幣は単なる交換手段に過ぎず、労働の対価として得るものだ。金を稼ぐということは、強盗や詐欺でない限り、自分の労働が世の中に貢献したことの代償である。
いつしか貨幣自身が貨幣を生むという金融機能が肥大化したことで勘違いしがちだが、原点に立ち返れば、「1億円を手にする」ということは「世の中に1億円分の貢献をして、その対価として1億円を頂戴する」ということである。
世の中に何ら貢献しない株式投資やFXなどの不労所得で1億円を得ることではない。本来、株やFXで儲けて「億り人」になる、というのは王道ではないのだ。
では、1億円分の貢献とは何か?
日本の人口を仮に1億人とすると、「日本人全員」に対し「1円分の貢献」をしたということだ。1億人の日本人全員に1円分の価値を提供できれば、結果として1億円を得ることができる、ということになる。
同じように考えると、1千万人に対し1人当たり10円分の貢献をすれば1億円、100万人に対してなら100円分、10万人なら1000円分、1万人なら1万円分、1000人なら10万円分、100人なら100万円分、10人なら1000万円分、そして1人に対してなら1億円分、の貢献をしたら得られる対価が1億円である。
「単価」と「人数」の掛け算なので、「自分が提供できる価値(単価)」が「及ぶ範囲(人数)」の組み合わせで、自分が世の中に対して提供できる価値の総和が決まる。果たして、自分はどれだけ価値のあるものを、どれだけ多くの人に与えられるのか?その掛け算が自分が手にすることのできるカネなのだ。
ブログで有料記事を書いたら、まさにこんな感覚になるのではないか?
単価をいくらに設定すれば、どれぐらいの人が読んでくれるか?ということを自分の記事の内容やクオリティと相談しながら決めていくことになる。単価を高くし過ぎると誰も読んでくれないが、逆に、安くすると多くの読者が必要になる。
さて、このブログはどこを狙おうか? 無料なので何人読んでもゼロだけど!(笑)