メリークリスマス❗️「サンタさんありがとう!」で東大に!? ~コレで息子を東大に!?シリーズ⑧~

「コレで息子を東大に⁉️」シリーズ

今年もまたクリスマスの季節がやってきた。クリスマスが来ると思い出すのは、子供たちが小さかったころ、プレゼントでとても苦労したことだ。といっても、誕生日プレゼントのように贈る品物についてではなく、プレゼントの「渡し方」での苦労だが・・・

「サンタは存在する」という夢を壊さないために

以下の記事で書いた通り、息子の「誕生日プレゼント」には徹底的にこだわり、本人の意向など全く斟酌せず、私が厳選したものだけを与え続けた。

Happy Birthday!誕生日の「コレ」で息子は東大に⁇ 〜コレで息子を東大に⁉シリーズ②〜
人は皆、年に一度、主役になる日が公平にやってくる。それが誕生日だ。 「お誕生日席」という言葉があるように、集団のなかで自分が主賓になる特別な日。一年間無事に過ごすことができ、嬉しいことや悲しいことが色々ありながらも、今年もまた一つ歳を重ねる...

一方、「クリスマスプレゼント」については、本人がサンタさんにお願いしたものを忠実に贈った。

クリスマスが近くなると、玄関に長靴の袋を飾り、そこに欲しいプレゼントを書いて入れておくと、クリスマスの日にサンタさんが持ってきてくれる、というよくある話法で。あくまで父親ではなく、サンタさんがくれたと信じている間は。

なので毎年、いかにサンタがプレゼント持ってきたかを演出するのに苦労した。寝ている間に枕元に置いたのでは、親がやったとすぐに疑われる。なので、子供たちの目の前で、決して親ではなく、サンタだということを示さなければならないのだ。

「あれ!? 今、サンタが来たんじゃない?」

子供たちの夢を壊さないために私が考えた出した方法はこうだ。

皆で1階のリビングでクリスマスパーティーを始めてしばらくしたころ、急にマジメな顔になってこう言う。

「あれ!? 今、2階で何か音がしたな。もしかしたらサンタさんが来たかもしれないから見てきてごらん」

子供たちが2階の子供部屋に駆け上がると、そこにはパーティを始める直前に私が置いたプレゼントが置かれている。すると2階から、

「パパ! サンタさんがプレゼントを置いていってくれたよ!」

という子供たちの歓声が聞こえてくる。

親は自分たちの目の前にいたので、当然、プレゼントはサンタが置いていった、と子供たちは思い込む。この演出を毎年苦労しながら続けた。おかげで、さすがの息子も、サンタがどこから入って出て行ったのか、その謎が長らく解けなかったようだ。

それだけ私の演技力も含め、不自然な点がなかったのだろう。なぜか毎年、パーティの途中に、父親だけがサンタの訪問に気付く霊感?を持っている、という点を除いては・・・

サンタが色々な場所に現れるように

一番困ったのは、サンタに「自転車」をお願いされた時だ。さすがに家の2階まで子供にバレないように自転車を運び込むことはむつかしい。

そこでその年は、「庭で音がした!」とパターンを少し変えた。そして庭の倉庫に隠しておいた自転車を無事見つけて「お庭にサンタさんが自転車をおいてくれた!」となった。

 

この時以来、サンタは家の2階だけでなく、玄関やベランダなど、いろいろなところに登場するようになった。

プレゼントの品物そのものでも難関が・・・

プレゼントの「渡し方」だけでなく、品物そのものでも困ったこともある。

まず、子供が欲しいプレゼントを決められず、なかなか長靴に「お願い」を入れない時だ。こっちは事前にコッソリそれを見て、それから品物の調達にかかるので、早く決めてもらわないとパーティー当日までに「仕入れ」が間に合わない。

だから、子供たちが迷っている時は親の方がソワソワして、「なんでもいいから早くお願いしないと、サンタさんも遠くから運んでくるんだから、きっと困ってるよ!」とよく分からない理由で子供たちを急かす。こっちにも都合というものがあるので・・・

サンタはプレゼントをどうやって仕入れる?

品物で一番困ったのは、とっくに廃版になった古い漫画の全集が欲しい、と書かれた紙が入っていた時だ。当然、本屋をいくら探しても新刊では売っていない。

あわてて近所中の古本屋をかけずり回って、いろんな店でバラバラの巻を買って搔き集めて、何とか全巻セットを揃えて、パーティー当日に間に合った。

そしていつものように、何食わぬ顔で「なんか2階で音がしたから…」とやって、その年も無事に「パパサンタ」のミッションをクリアした。

ところが、直前まで調達に駆けずり回っていたので、本に値札が付いたままだった。「パパ、この本にブックオフの値札が付いてるけど、サンタさんがくれたんじゃないの?」と息子の疑いの眼差し。

「きっとサンタさんがブックオフで買って、それをプレゼントしてくれたんだろ? サンタさんだって自分で本を作れないから、どこかで手に入れたものをみんなに配ってるんだよ」と屁理屈をこね、何とか切り抜けた。

おかげでウチの子供たちは、中学生になって友達に「サンタなんていないよ!」と言われるまで、サンタを信じていた。

そのことが果たして良かったのか悪かったのか、今となっては分からないが、少なくと子供の情操教育上、親としてできることを最大限やった、ということで自分では満足している。

よければ皆さんも、この「スキーム」をどうぞお試しあれ(笑)

子供の「夢」と「真実」はどちらが大事?

ところで、この「サンタ・プロジェクト」?は、前述の「誕プレ」記事の中で私が書いた「子供のレベルに迎合しない」という私の教育方針と大いに矛盾するように見える。

「夕焼け空は決して神様が赤い絵の具をこぼしたせいではない!」という冷徹な真実を教えるべきである、と主張した。一方で、「サンタさんはホントにいるよ~」と教え続けた。

「夕焼け」と同じように、「サンタが赤いのは、コカ・コーラ社が宣伝のために自社のコーポレートカラーである赤を使ったためであり、そもそもサンタなど実在しない!」と幼い子供に教えるべきだったのか?

合理主義者で現実主義者、そして無神論者であるはずの私が、サンタだけは殺さなかった。

これはナゼなんだろう?自分でも不思議で答えはまだないが、とりあえず今は以下のような結論にしておこう。

子供に与えるべきものは?

夢を打ち砕くのが教育の目的ではない。夢だけでは生きられないが、夢がなくても生きて行けない。現実を知ったうえで、それでも夢を抱き、夢に向かう。強い意志と、不断の努力で、頭を使って戦略的に。そう、大谷昇平のように。

それを教えるのも教育だ。だから、子供には「夢」と「真実」の両方をバランスよく与えよう。どちらがなくても生きて行けないし、多くの「夢」は、いずれイヤでも消えてゆくのだから・・・

(ここまで読まれた方は、左下の『最後まで読んでやったよ!』ボタンをぜひ)

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