『若者はFIREを目指し、老人は再雇用を目指す』で、60代で定年を迎えたあとも、いくつになっても仕事を求める老人たちを揶揄した。
ただ、「仕事」を続けること自体は悪くはない。同じ「仕事」でも、その中味の問題だ。
食うために、金を稼ぐため仕方なく働く『ライス(rice:米)・ワーク』
食うためではなく、自分の好きなことをやる『ライク(like:好き)・ワーク』
さらにそれが世のためにもなり、生涯をかけて取り組むべき『ライフ(life:人生)・ワーク』
同じ「ワーク(仕事)」でも、その目的によって中身は様々だ。
ダラダラ残業はやめて定時退社すべし!人生も同じ
日常業務においては、「定時退社を目指して朝から計画的かつ効率的に業務をこなし、定時になったらさっさと切り上げるべし!ズルズル、ダラダラ、惰性で残業など厳に慎むべし!」
このことには誰も異論はないはずだ。ホワイトな令和の日本社会では・・・
しかし、この「定時退社」を「定年退職」に、「残業」を「定年延長」や「再雇用」に置き換えると、昨今のケジメのない会社人生の継続が如何にダメなのか、ということが分かる。
若いうちに「FIRE」を達成できなくて、食うために、金のために、働き続けてついに定年を迎えてしまった。そしたら、そこで食うために働くのは終わりだ!もともと、そういうルールだ。定年になったら会社は辞めなければならないということは、入社した何十年も前から分かっていたこと。必要な金はそれまでに稼いでおかなければならなかったのだ。
定年延長は「社畜人生の残業」だ
もし、定年後も働くのであれば、「食うため、金のため、嫌なことを無理して」ではなく、せめて「自分が好きなこと、これならやってみたいと思うこと」を仕事にしたい。対価を得るために働くのではなく、結果的に対価も得る、という主客が逆の関係。対価の多寡や有無にかかわらず。「労働」ではなく「仕事」として。「ジョブ」ではなく「ワーク」で。
今の会社の仕事が好きならばよい。死ぬまで続ければ。そうではなく、金のために長年ガマンしてきたのであれば、一度ここで「定時退社」した方がよい。そして、時間後(定年後)に、副業で得意分野を活かしてフリーランス仕事でもするように、別の好きな仕事をすればよい。
現役時代の食うための『ライス・ワーク』から、
定年後は好きなことをやる『ライク・ワーク』へ。
そして人生最後は、対価も名声も何も求めず、自分がこの世に存在した証を残せる『ライフ・ワーク』で終わりたい。
そう考えれば、「ワーク(仕事)」も「ワルク(悪く)」ない。(また、ダジャレ落ちですか!?)