桜の季節が本格化し、入学式のシーズンがやってきた。今年は4月13日が東大の入学式だそうだ。十年ほど前、私は息子の入学式も卒業式も出席した。(自分の大学の卒業式に出た記憶はないが・・)

東大入学式は人生で最も晴れやかな舞台?
入学式の日は生憎の雨で、傘をぶつけ合いながら九段下駅から武道館への道を、桜を愛でながら多くの新入生親子と一緒に歩いた。
そういえば昨年の今頃も、通勤途中にここで花見をしたっけ?

そして「1家族2名まで」に入場が制限されている武道館の入学式会場に入り、総長の長い話などを聴いた。
みんな子供のころからの努力が実って、長年の夢であったその日を迎えることができたのだろう。(うちの息子は実質1か月ほどしか苦労してないが・・・)

「今日がこれまでの人生で最も晴れやかな日だ!」という雰囲気が広い武道館の会場全体に満ちていた。子供たちは堂々とし、そんな我が子を見ている親たちも誇らしげであった。まぁ、仕方ないことかもしれないが・・・

卒業式の雰囲気は既に入学式とは違っている
しかし、これが4年後の卒業式になると、微妙に雰囲気が違っていた。
入学式の日は、みな同じ東大生初日で横一線に並んでおり、全員に夢と希望に満ちた未来が約束されている、と誰もが信じていた。
ところが東大で4年間過ごしている間に、最初は横一線であったものが、東大生の中でも努力や才能や運の差で、格差ができてくる。
そして、就職活動を経て卒業するころには、希望通りの進路が決まって引き続き人生に夢を持って巣立っていく者と、不本意な形で社会に出て行かなくてはならない者とに分かれる。
様々な立場の者がいるので、いろんな感情が入り混じっていて、入学式のようにお祝いムード一色という感じではなかった。

卒業式は祝賀ムードだけではない・・・
入学式では、あれだけ希望に満ち溢れ、全員が生き生きとしていたが、4年後の卒業式では既に輝きを失い、ピークアウトしている者もいた。
本来であれば、卒業式こそが「学生」から「社会人」へと巣立つ本当の門出であるはずなのに、「受験戦争からの門出」?である入学式の方が人生で最も華やかな瞬間となっていた。
ムチを入れるのは第4コーナーからでいい
入学式の日に「東大合格!」というこれまでの人生の目標を失い、入学後に何をしていいのか分からなくなる、いわゆる「燃え尽き症候群」になる者も多いのだろう。
幼稚園児の頃からお受験の連続で、ずっと走り続けてきたら、そうなるのも仕方ない。
競馬の馬と騎手の関係と同じで、下手クソな騎手が、スタート直後から鞭をバンバン入れ続けたら、どんなサラブレッドでもゴールまで走り切れない。

第4コーナーからが本当の勝負!
東大合格は人生の「目的」ではなく「結果」
東大合格は、人生の「目的」ではなく、いい会社に入るための「手段」でもなく、あくまでそれまでの自分の生き方の「結果」である。
知力、体力、精神力など、いろんな要素を高次元に身に付け、さらに「運」を味方にする力も加えて、結果的に起こる事象が「東大合格」であるべきだ。
その主客を逆にするから「人生のピークが東大入学式の日」になる。そして大学4年間で次の目標を見つけることができず、ピークを過ぎた老体、あるいは燃えカス?として惰性で社会に送り出されていくことになる。
東大の卒業証書はディズニーランドの「ファストパス」ぐらいのもの
そもそも、東大卒や京大卒といった学歴は、社会に出る時にちょっと有利な「入場券」程度のものだ。ディズニーランドの「ファストパス」みたいなもので、多少早く乗り物に乗れるに過ぎない。

いずれファストパスのように消える?
アトラクションに乗り込んでしまえば、あとは他の乗客と同じ条件で、揺さぶられ、振り回され、水しぶきをかけられ、絶叫する。特別に優遇されることなどない。
社会に出てしまえば、「あいつは東大卒だから」という目で見られるのは新入社員のあいだぐらいだ。他に社会人としてのアイコンがまだないから、便宜上、学歴が使われる。
しかしその後、普段の業務上で「東大卒」などというラベルはすぐになくなり、仕事の実績で平等に評価される。無能な者を学歴だけで優遇するような余裕は今の企業にはないので、社会に出たら実力で勝ち残っていくしかないのだ。

乗ってしまえば皆おなじ
実社会は総合力で闘う長いサバイバルレース
実社会で必要なのは、当然、知力だけではない。気力、体力、精神力、そして人間力など、あらゆる力の総合戦である。
そしてそれらの総力を使って闘い続けて、周りがバタバタと倒れていく中で、最後まで立っていられた者が勝者になる、という長いサバイバルレースだ。まさに「ラストマン・スタンディング」の世界なのだ。
だから子供のころから知力だけ磨いても、ほかの体力、気力、人間力などがなければ、知力の勝負だけで済む学生時代は通用しても、総合戦の実社会ではひとたまりもない。
実際、会社の中で、多くの東大卒の同期がバタバタと倒れていくのをイヤというほど見てきた。

「勉強はできる」と「勉強もできる」の違い
多くの科目の中の一つに過ぎない「知力」も当然できるが、その他の科目(体力・気力等)も十分にできる。スポーツもできて、友達もたくさんいて、さらに勉強もできる、ぐらいでないと、「知力単品の世界」の最後であった東大入学式が人生のピークとなる。
他は全くダメだけど「勉強だけはできる」ので東大に入った、というのと、他もいろいろできるけど「勉強もできる」ので東大に入った、というのとでは、同じ「東大に入った」でも実力的にも雲泥の差がある。
なので、東大合格を目的として20年弱を生きるのではなく、総合力を身に付けた結果、「知力単品」でも最高峰の東大に受かった、ぐらいの余裕がなければ、東大に滑りこんで人生そこでおしまい、である。
早すぎるムチが生む悲劇と「進路ロンダリング」
昔、私の知人が「小学生の息子がSAPIXで最上位のα1クラスに入ったから、将来は東大間違いなし!」と浮かれているのを見て、私は「賭けてもいいけど、きっとその子は東大には入らないと思うよ」と言った。
十数年たって結果的に、その子は東大を諦め、医学部志望に路線変更(世間体を取り繕うための進路ロンダリング?)し、三流私大の医学部に入った。それを父親は納得せず、「浪人しろ!」と圧をかけているそうだ。
子供のころから父親の過剰な期待を背負わされ、お受験の連続の結果、不本意な結末を迎える、というなんとも不幸な人生だ。
早すぎるムチは悲劇しか生まない・・・

「繋ぎ馬に鞭を打つ」ようなもの?
第4コーナーまでにやるべきことは?
では、第4コーナーでラストスパートをかけるまでの第1コーナーから第3コーナーまでに何をすべきか?
まずは小さいころから脳細胞を刺激しまくって地頭を作る。
そして、大きなキャパができた頭でいろんなことに興味を持たせる。
運動も何種目かやらせる。
勉強はホドホドにしておく。学習塾など時間とカネのムダ!
私自身がこれらを全て実行できたわけではないが、「勉強ばかりしてるとバカになるぞ!」「一緒に野球しよう!」「カブトムシ採りに行こう!」と、インドア派の息子を何とか外に引きずり出し、脳細胞への刺激を続けたつもりだ。
ほかにも第3コーナーまでにやるべきことはたくさんあると思うが、この「コレで息子を東大に!?」シリーズで私がこれまで書いてきたことにそのヒントがあるかもしれない。なので、よければ再度、復習を(笑)


