有田・伊万里・唐津と佐賀県の3大焼物産地の弾丸ツアーに行ってみて有田焼のスゴさを実感した

料理・酒・器

有田の「陶磁器まつり」に合わせて、佐賀県の有田焼・伊万里焼・唐津焼の産地を2泊3日の弾丸ツアー?で一気に回ってきた。

「うつわソムリエ」としては、やはり、日本の磁器発祥の地である有田を知らずして日本のうつわは語れないと思い、まずは有田へと向かった。

初めて訪れた有田とはどんな町?

「陶磁器まつり」期間中は、有田駅から有田駅前通りを5分程下ったところにシャトルバスの発着場があり、そこから無料のシャトルバスで3方面に送迎してくれる。

有田駅は意外と?小さい

普段は立ち入り禁止なのだが、まつりの期間中だけ泉山の陶石採石場を見学することができるとのことなので、まずはシャトルバスで終点の採石場まで行った。

普段は立入禁止の泉山採石場へ

山が丸々ひとつ削り取られたような景色に圧倒されるが、実際に「有田は400年かけて山ひとつを陶器に変えた」といわれているそうだ。

採石場を見学したあと、そこから深川製磁や香蘭社の本店が並ぶ「札の辻」エリアを経て、シャトルバスの出発点である有田駅までの通りを歩いて戻った。

深川製磁の本社もやはり有田にある

その道すがら、通りの両側に並ぶ陶器店に入るたびに店の人とうつわ談義をして、いろいろな器を買って回ったので、最後は両手いっぱいに重い紙袋を下げて駅にたどり着いた。

有田焼の始まりは陶石の発見から

「うつわソムリエ講座」でも習ったが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、鍋島直茂によって朝鮮から招致された李参平が、1616年に有田の泉山で磁器の原料となる陶石を発見したことが、日本における磁器生産の始まりだ。

だから、白くて美しい磁器のルーツは有田焼であり、そこから伊万里焼や、将軍に献上する鍋島焼などが生まれた。そして現在でも、高級料亭で使われる器は有田焼というのが一般的なのだそうだ。

白磁がキレイな有田焼

秘窯の里、伊万里の大川内山へ

有田の次に、地理的にも有田に近く、焼き物の特徴もよく似ている伊万里焼の産地である伊万里に行った。

伊万里焼というと、私の中では、テレビの「なんでも鑑定団」で中島誠之助氏が「いい古伊万里ですね~」と言っていた印象ぐらいしかないが、一般的に高級品というイメージが強いだろう。伊万里焼の歴史を知ると、なぜ高級品というイメージが強いのか分かった。

「いい古伊万里ですね~」

江戸時代に佐賀藩の鍋島家が、当時の技術の粋を結集し、最高の焼物を徳川将軍に献上しようと考えた。その技法の流出を防ぐため、四方を山に囲まれて閉ざされた伊万里の大川内山に有田から職人を集め、厳重に管理した。

入口には関所が設けられ、人の往来だけでなく、物資の受け渡しも厳しく制限された完全な官窯だった。現代で言うと、産業スパイ対策を施した半導体製造工場やAI開発拠点のようなものか。

関所の跡が

そこで作られたものが「鍋島」と呼ばれ、将軍や大名などの一部の特権階級だけに献上され、一般にはその存在すら知られていなかったようだ。

その後、明治時代になり、廃藩置県によって佐賀藩がなくなると、官窯から民窯となり、「鍋島」の流れを汲みながら現在も伊万里で作られているものを伊万里焼と呼ぶのだ。

鍋島焼開窯350年記念プレート

伊万里焼=高級品のイメージの理由

こうして実際に有田と伊万里を訪ねて、有田焼、伊万里焼、古伊万里、鍋島、の違いがやっと分かった。

【古伊万里】

江戸時代に有田で作られ、伊万里港から船で出荷していたため、港の名前から「伊万里焼」と呼ばれたが、実質は有田焼である。現在の伊万里焼は伊万里で作っているので、それと区別するために「古伊万里」と呼ぶ。民間向けの民窯。

【鍋島】

江戸時代に佐賀藩の鍋島家が将軍家に献上するため、有田から伊万里の大川内山へ職人たちを移し、技術の粋を結集させ特別にあつらえた焼物のこと。藩が全てを管理・統制する官窯で、民間には一切出回らず、限られた上流階級のみに贈られた高級品。

【伊万里焼】

鍋島の技法を受け継ぐ伊万里の窯元たちが作る現代の焼物のことで、伊万里鍋島焼とも言う。完全に民間向けの民窯。

つまり、伊万里から出荷されたものは、古伊万里、鍋島、伊万里(鍋島)と3種類あり、いずれも人気の高い磁器製品だが、特に上流階級しか手にすることができなかった鍋島の印象が強いため、伊万里焼=高級品というイメージになったのではないか。

そして、古伊万里も鍋島も、元は有田焼ということなので、有田焼の凄さを実感し、うつわソムリエとしては「有田焼を理解せずには日本の器は語れない」という私の認識は間違っていなかったと改めて思った。

伊万里からさらに唐津へ

有田から伊万里へ、そしてさらに伊万里から佐賀県北部の唐津焼の産地に向かった。山奥深くにある有田や伊万里から、玄界灘に面した海辺の唐津まで、JR筑肥線に乗って1時間弱で到着する。

ローカル線が伊万里と唐津を結ぶ

バスよりも乗客が少ない?ほぼ貸し切り状態の1両編成の電車で、もちろん単線なので、電車の両側に山が迫り、木の葉っぱが車窓に当たるような山道をくぐりながら。

山の中を一本の線路がつなぐ

江戸時代にできた有田や伊万里の白い磁器とは違い、唐津焼の歴史はもう少し古く、桃山時代に始まった茶色を中心とした陶器である。素朴で力強い質感が特徴で、特に茶器として有名で「一楽(京都の楽焼)二萩(山口の萩焼)三唐津(佐賀の唐津焼)」と称されたそうだ。

素朴で剛質な唐津焼

唐津では、人間国宝の12代中里太郎右衛門氏の陶房や登窯を見て回り、もちろん唐津城にも登った。

唐津焼の窯の中も見学

もちろん唐津城にも

こうして2泊3日の弾丸ツアーで、佐賀の3大焼き物である有田焼・伊万里焼・唐津焼を体感してきた。一度、自分で実際に産地を訪れ、歴史から現在の様子までを身近に感じると、その焼物に対する理解がグッと深まる。

少なくともこれで、これまで現地に行った常滑焼九谷焼、有田焼、伊万里焼、唐津焼の5つについては、何となくではあるが、見て区別がつくようになったか?

下記の記事で書いたが、今まではどこの焼物か分からない時は、確率論から「美濃焼かな?」と言っていたが、これからは、料亭に行った時には「これは有田焼ですよね?」と自信を持って言うことにしよう(笑)

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