日経新聞をやめる日が「カネから自由になる日」? ~「FIRE」を考えるシリーズ⑥~

「FIRE」を考えるシリーズ

定年退職した時に私がやりたいことの一つに「日経新聞を即、解約する!」がある。

学校を出て会社に入ったあの日以来、40年近く、否応なく、毎日毎日、日経新聞を読み続けてきた。面白くもなんともない無味乾燥な記事に、高い金を払って。資産運用の仕事のためだけに。

「今日の日経にあったように・・・」が一日のスタート

金融業界の人間にとっては、朝、会社に着いた時点で、その日の日経新聞に書かれていることは全て、当然、全員が認識している、という前提で会話が始まる。

「今日の日経のあの記事読んだ?」ではなく、最初から「今日の日経にあったように・・・」で始まる。なので「その記事は見てませんでした・・・」などというのが続くと劣等生の烙印を押される。

「今日の日経にあったように」で一日が始まる

毎朝、寝室から起き出してリビングに行くと、テーブルの上に日経新聞が置かれている。イヤでも1面記事の文字が目に入る。そこから既に一日の仕事が始まっている。ざっと眺め、世界が平和な日は、一旦、そこで終わる。ゆっくり朝食を食べ、身支度をして、あとは電車の中でじっくり読む。

しかし、1面トップにとんでもないニュースが載っている日には、そこからいきなり戦闘モードに突入である。朝食のことなどスッ飛んで、他媒体での情報収集、事実関係の確認、関係者への連絡、出社してからの対応を考える、と大騒ぎになる。

平和な朝が新聞記事一つで変わる

新聞を裏にして置いていた時期も

1990年代後半に日債銀や山一証券など、大手金融機関が、突然、バタバタと倒産していった時期には、毎朝、日経新聞を見るのが怖かった。朝起きると「今日はどこがツブれているんだろう?」と、恐る恐るテーブルの上の日経を覗き込んでいた。

だから当時は、テーブルの上の日経新聞を、1面記事が載っている表ではなく、裏面を上にして置いてもらっていた。そして、心の準備ができてからそっと表を向けて、「よかった、今日はどこもツブれてなかった!」と安堵していた。

朝、机の新聞を見るのが怖い時期もあった

FIREして資産運用をしているのは「仕事」をしているのと同じこと

FIREを達成した人たちの日常には、「日経新聞を読んで、相場の動きをチェックして、証券会社に発注する」というルーティーンが一日の生活の中に組み込まれていることが多い。

「自分は会社には行かず、働く必要はない。資産運用だけやっていれば食える。資産運用が自分の仕事である」という認識のようだ。

しかし、私のように本業の仕事で資産運用を何十年もやってきた身からすると、「資産運用をやっている」ということは、「仕事をやっている」のと同じことだ。

無論、責任やプレッシャーの度合いは違うだろうが、毎日毎日、土日も夜中も関係なく、決して自分の思い通りにはならず、世界中で動き続けている「相場」に翻弄され続ける日々を送ることから解放されないなら、それは仕事から解放されたことにはならない。しかも、定年もなく、一生、相場に振り回され続けるなど、まっぴらゴメンなのである。

資産運用は遊びではなく「仕事」である

資産運用は普通に仕事をするよりストレスが多い

さらに資産運用という仕事は、内容が専門的で高度であり、不確実性の高い相場を相手にし続けるので成功する確率も低く、相対的に他の普通の仕事よりストレスフルである。その対価として高額の報酬が支払われる。

MBAを出た頭脳明晰で血気盛んな若者たちが、一獲千金を夢見てウォール街に飛び込み、日夜そこでしのぎを削っているのが資産運用の世界である。そういう猛者たちを相手に果たして勝ち続けられるのか?

WSの猛者たちを相手に闘い続ける?

普通の仕事を辞めて、それよりストレスの多い資産運用という「仕事」を選択することが、本当に望んでいたストレス・フリーのFIRE生活なのだろうか?

なので、私は引退して資産運用の仕事から解放されたら、相場から自由になった証として、いの一番に日経新聞を解約する!

これが長年の私のささやかな夢である。

引退したら一般紙を読むぞ!(^^)

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