仕事のキャリアにも「利息」が付く。しかも複利で。だから「FIRE」は慌てるな!  ~「FIRE」を考えるシリーズ③~

「FIRE」を考えるシリーズ

いろんなブログなどを読んでいると、20代や30代の若い人たちが、一生懸命に仕事や生活と日々格闘しながら、未来に向けていろいろ悩み、試行錯誤しながら生きている姿がよく伝わってくる。そのツライ日々の暮らしの中で、望みの綱の一つが「FIRE」なのかもしれない。苦しい現実の日常からサッサと抜け出し、少しでも早くリタイアしたいと切望している。かつての私がそうであったように・・

そしてそれを目指し、挫折し、まもなく「勤め人」のまま社会人キャリアを終えようとしている先輩からあえて言おう。若いころは仕事がとてもツラいが、オジサンになるにつれ楽になる。

だから「FIRE」は慌てるな!と。

若いうちは働くのがとてつもなくツライので、そこから逃れたい一心で「FIRE」を目指す気持はとてもよく分かる。朝は眠いし、会社では下っ端なので自分の裁量などほとんどなく、不本意でも上司の指示に従うしかない。だから休み明けに出社するのはとてもイヤだ。楽しい休日が終わる日曜の夜、ちょうどテレビで「サザエさん」を見るぐらいの時間(日曜18:30)になると、翌日の仕事のことが頭をよぎりはじめ、だんだんと憂鬱になってくるという、いわゆる「サザエさん症候群」というのが平成にもあった。

しかし歳を重ね、偉くなっていくにつれ、会社に行く苦痛はどんどん減っていくのだ。そもそも、朝も早くから勝手に目が覚めてしまい眠たくない。会社でも自分で考え、自分で決められるようになる。個人事業では到底できない規模のカネや人を動かしながら。そして60歳を過ぎるころには、定年延長してもっと働かせてくれ!と言う。カネのためだけでなく、ヒマだから。

ピラミッド型の組織体系では、社長を頂点とするピラミッドの最底辺に新入社員は組み込まれる。周りは皆、自分よりエライ人、という状態なので、会社にいる間は全ての人に気を使わねばならず、とても疲れる。ピラミッドの重みのすべてを背負っているようなものだ。

それが歳を重ねるにつれ、一段一段、ピラミッドの階段を垂直に登っていく。毎年、後輩の新人が入ってきて、逆に自分より上のオジサン達は定年で抜けていく。すると半分の高さまで来た時、例えば、入社から定年までが40年とすると、その半分の20年が経った時には、自分よりピラミッドの上にいる人間の数は、半分ではなく、4分の1になっているのだ(簡単な三角形の面積の問題で、高さが1/2になると面積は1/4になる)。逆に、自分より下にいる人間は、上にいる人間の3倍になっている。つまり、自分が気を使わなければいけない人「1」に対して、自分に気を使ってくれる人「3」という割合になる。新入社員の時は「100対0」であったものが。なので、時間の経過とともに、楽になる速度は速い。

だから若いうちに慌てて「FIRE」しない方がいい。若いころは仕事のキャリアがまだまだ短いから、資産運用でいうと、少ない元本を必死で増やそうとしているようなものなので、なかなか楽にならないのは当たり前。50歳過ぎたころから複利効果が効いてきて急に楽になる。そして55歳以後はそれまでの利息で仕事ができるようになる。「FIRE」生活と同じように。
同じ10%で増やすのも、元本が10万円(若者)だと1万円に過ぎないが、元本が1,000万円(オジサン)なら100万になる。

私もヒラ社員のころ、自分は朝から晩までこんなに忙しいのに、部長は毎日ゆっくり出社してきて、日中も雑誌を読んだりツメを切ったり、退屈すると部下をイジって、夕方には早々と会食に出掛けていく、という姿を見ていつもムカついていた。給料はオレの何倍ももらっているくせに、なんて不公平なんだ!と。

そもそも日本企業の賃金体系では、労働量と給料が年代間でアンバランスになっている。若い頃は、労働量に対して給料がペイしない。それをオジサンになってから回収する。だから若いうちに辞めてしまうと、働き損で回収できないままになる。若い頃には私もそれが分からなかった。「今の自分の労働量と給料」を「今の部長の労働量と給料」でしか比較できなかった。しかし自分も部長を経験し、さらに役職定年になって、それなりの額の退職金類を実際に手にすると、トータルでは回収できたと実感できるようになった。

仕事は「雇われ仕事」であってもなくても、プライドと責任を持ってやるもの

若いうちは当然、大した仕事などやらせてもらえない。私も新入社員のころは年収200万円程度で、毎日、数字の集計作業とコピーと会議の設営ばかりやらされていた。そんな仕事でも、いかにコピーを歪まず真っ直ぐにするか、ホッチキスは資料の左上に45度斜めにキレイに止めるか(当時のコピー機は今のように全自動の高性能ではなかったので)、会議資料は机の上に歪みなく少しずつずらしてキレイに並べるか、というような小さなこと一つ一つを自分で考えながらやっていた。
意味のないムダな仕事だからテキトーに流す、というのも当然アリだ。実際、私の同期が設営担当の時の会議は、資料が雑然と並び、資料のコピーは歪み、ホッチキス留めの位置はバラバラだった。その仕事に対する彼のスタンスがそこには表れていた。

「神は細部に宿る」ではないが、たとえくだらない仕事であっても、「これは自分がやった仕事だ!」ということに対してはどんな些細なものでも、考え、工夫し、プライドと責任を持ってやった。単なる数字の集計作業であっても、「今回はここに丸印を付けてみよう」とか、「ここは実額だけじゃなく比率の欄も加えてみよう」とか、裁量の許される範囲で、毎回、少しづつ自分なりに工夫を加えて行き、前回より少しでも変えて良くしよう、と思いながらやっていた。

そして、新人から主任、課長、部長、役員・・・と立場が変わっても、基本的なスタンスはずっと変わらない。自分の名前でやる仕事は、プライドと責任を持って、前回より少しでもいいものになるよう考えて工夫を続ける。新入社員としてやっていた時と同じように。それだけ。
当然、ポストが上がれば扱う仕事のスケールは大きくなるので、関係者の数も増え、金額も大きくなっていく。それでもやることの本質は変わらない。自分自身で考え、実行し、結果に責任を持つ。それが「仕事」ということだと私は思う。たとえそれが雇われ仕事であっても、そうでなくても。

それを30年以上続けた結果、まがりなりにも1部上場企業の役員ぐらいにはなった。一方、雑な会議設営をしていた例の同期は部長にもならなかった。新入社員の時の大して意味のない雑用に対する臨み方の差が、30年積み重なると大きな違いとなる。仕事にも利息が付くのだ。それも複利なので、後になるほど差はどんどん大きくなっていく。

~「FIRE」を考えるシリーズ④~に続く

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