「FIRE(Financial Independence, Retire Early)」(経済的独立と早期退職)について以前にも少し書いたが、かつて同じ志?を持ちながら、夢破れ、結果的に30数年間勤め人を続けたアラ還のサラリーマンおやじとして、「FIRE」について今だから思うことを少し書いてみたい。
「FIRE」について考えるということは、金、仕事、時間、人間関係、生きがい、そして人生というどんどん大きなテーマと不可分なので、そのあたりについても「FIREを考えるシリーズ」として、何回かに分けて考えていきたい。

現在の私の状況は、60歳を前にして、実質的に「プチFIRE」を達成した状態にあるのかもしれない。客観的には、いまだにサラリーマンとして毎日、電車に乗って(たまに徒歩で)会社に出勤し、「好きな釣りやゴルフの時間が足りない!」と嘆いている勤め人ではある。
ただ金銭的には、転籍時の退職金や企業年金、それと大した額ではないが、これまでの個人の運用資金などなど諸々を全部合わせると「億り人」の最下層ぐらいにはなるので、「あしたから会社行くのや~めた!」としても困りはしない。
それでも、毎朝、早く起きて、職場に向かう。会社にいけば、都心のオフィス街に「部屋」と「部下」と「適度にクリエイティブな仕事」、それに「自分の裁量で使える時間」があるので、まだそれらの「インフラ」を手放していないだけだ。今すぐ独立して自前でこれらを全て用意しようとしたらかなりのコストが掛かるが、それらを全部会社が用意してくれるうえに、この歳になってサラリーマン人生で最高額の給料までくれる。だから、若い頃のように「仕方なく」ではなく、「自分の意志で」会社に行っている。そういう意味では、目標よりはだいぶん遅れ、「Early」でも「Retire」でもないが、サラリーマンのままで何とか「FIREもどき」を達成したということかも知れない。
仮に、あの「ベンツのチューリップ畑」ができるぐらい相場で勝った時(何のことか分からない方は下記の記事参照)、次の一戦でもまた100倍にして数十億円を30代で手にしていたら、間違いなく会社は辞めて、別の人生を歩んでいただろう。その人生とはどんなものだったのか?と考えるときもある。

恐らく、鼻持ちならない、ロクでもない人間になっていたのではないか?と思う。自分のこれまでの人生を振り返ると、若い頃は、大してありもしない自分の才覚を鼻にかけて、イケイケどんどんで周りの痛みなどまるで感じない浅はかな人間だった(今も大差ないが・・・)。
それでも会社組織の中で、課長になり、部長になって、部下や関係する人間の数とレベルが上がるにつれ、責任も重くなり、それを背負い込む覚悟もでき、自分の人間としてのレベルもその辺から上がったような気がする。(昔の自分が見たら、単に「丸くなって落ち着いただけ」ということかもしれないが)
若いころはひたすら、「いつか奴らの足元にビッグマネー叩きつけてやる!」(by 浜田省吾「MONEY」)と叫びながら、「団塊世代vsバブル世代の闘いだ!」と日々、部長とバトルし、怒り、抜け出すことを念じ続けていた。
それがいつの頃からか「逃げ場所のない覚悟が夢に変わった」(by 長渕剛「しゃぼん玉」)
「うらやましい」と「スゴイ」は別物
「稼ぎ」というのは「能力の代替指標」という側面を持つ。特に男にとっては。
だから、給料は500万円だけど、株や不動産などの不労所得で2,000万円稼いでいるヤツのことを「うらやましい」とは思うが、「スゴイ」とは思わない。給料だけで2,000万円稼いでいるヤツの方が「スゴイ」と感じる。
日々、生身の人間を相手に自分の持てる能力を全て投入して働き、その結果を反映して得るものが「給料」であるとすれば、本業の給料で稼いだ金額の多寡がその人間の能力の差である、と捉えるのが男の価値観である。だから、不労所得でいくら稼いでも、株の才覚は認めるが、それ以外も含めたトータルの能力ではどうなんだ?という見方になる。
例えば、卒業後、何十年か経って大学の同窓会に出て、そろそろ人生の着地が見えて来る年代になった時、若くしてたまたま小金を掴んで、あとはその遺産で自由人として楽に生きてきたヤツと、最後まで闘って大きな組織の中で力と金を勝ち取り、部屋とクルマと秘書を手にしたヤツと、人生トータルとしてどっちに対して「スゴイ」と感じるか?
もし私が「FIRE」に成功して若くしてリタイアしていたら、自制ができないタイプなので、その後、きっとどこかで破綻していたことだろう。
実際に「FIRE」を達成した人たちの記事を読んでいても、やることがなくて、毎日、図書館に通って本を読む、とか、「まるで定年退職した年金生活者と同じじゃないか!」というのも多い。60代、70代なら残り10年や20年なのでそれも耐えられるのかもしれないが、30代から残り50年を毎日、図書館通いで耐えられるのだろうか? 結局、どこかでまた、社会との係わりを求めて仕事をすることになるのだろう。
経済的独立=早期リタイアなのか?
そもそも、経済的独立をすれば、即、早期リタイアなのか? 経済的独立とは「人に雇われないこと」、つまり「勤め人ではなくなる」だけで、自分で会社を経営している人は「経済的に独立」しながらも働いている。だから必ずしも、「経済的独立」=「(利子・配当・家賃等の)不労所得だけで食う」ではないはずだ。
「FIRE」で「経済的独立」を達成し、「早期退職」で「雇われ仕事」から解放されたとしても、人間としてこの世に生きている限り、社会に対して何かをなして命を使い切る。それがすなわち自分の納得する「仕事」をするということではないか?
まだ「FIRE」という言葉すらなかった時代に「FIRE」を目指していた私が言うのも何だが、今だから分かることもある。
次回は「仕事」について考えてみたい。
~「FIRE」を考えるシリーズ③~に続く
