1億円で畳1枚分の地べたを買うタワマンバブル?

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都心部のマンション価格上昇が止まらない。東京オリンピックまで、と思われていた価格上昇が、世界的なインフレの影響もあり未だに止まらず、ついに東京23区の新築マンション平均価格は1億円を超えた。タワマンブームの牽引もあり、在庫が増えても値段が下がらない、というバブルのような現象も起きているようだ。

既に一般人の実需では買えない水準なので、外人を中心に投資対象として売買しているからだろう。その結果としての価格形成なので、資産の実態価値ではなく、売り手の数と買い手の数のバランスで価格が決まるという、株式などの有価証券と同じ状態だ。なので、実態価値をマジメに分析しても意味はないかもしれが、少し冷静に見ると、今の状況はこういうことではないか?

タワマンブームが続く・・・

例えば、都心の湾岸エリアの40階建てタワマンが、80㎡で1億円だとする。すると、立体ではなく平面部分で考えると、40階建てだと80㎡の地べたの上に40世帯が住んでいることになるので、1世帯当たりの土地の所有分は、単純計算で80㎡÷40世帯=2㎡/世帯となる。

つまり、もしセメントと鉄骨で積み上げられた地上部分の建物がなくなったら、最終的に実物資産として残るのは1世帯当たり2㎡、つまり畳1枚分強の土地しかないということだ。それを1億円出して買っている、ということになる。

毎年発表される公示地価で全国1位の銀座4丁目の土地が1㎡5,500万円程度だから、2㎡だと1億1千万円となるので、ちょうどそれと同じぐらいの買い物をしていることになる。

もちろん、地べたの上には立派な建物が建っているので、当然それを含めた価格であり、他にも、地理的な利便性や、キレイな夜景等の「眺望代」も全て含めた価格ではある。そういう意味では、マンションの価格の大半は、「土地代」ではなく、「空中権」の値段ということかもしれない。

しかし、ひとたび建物がなくなって、そこが更地になった世界を想像するとどうなるか?タワマンが建つ前の造成中の姿に戻るので、残るのは地べただけ。

上物がなくなれば元の更地はこんな感じ?

今の「平和の国ニッポン」でタワマンの建物がなくなるなど想像もできないだろうが、例えば、巨大地震や津波、戦争、そして耐用年数問題、等々で上物がなくなったら?

地震や津波は日本人には身近なリスクで、実際、東日本大震災の直後には、湾岸部の物件は敬遠された。すぐに忘れ去られてしまったが・・・ ましてや日本に住んでいない外人投資家はそもそも、そのリスクを実感として知らない。

天災以外にも、ウクライナ戦争の映像を見ていると、普通に平和だった都市の建物が、一発のミサイルでただの瓦礫と化した姿をたくさん目にした。北朝鮮や中国に近い日本に同じことが起こらない保証はない。

一発のミサイルで瓦礫と化す

それでも皆、そんなレアケースが起こる前に自分だけは売り抜けられると思っている。バブルはいつもそうなのだが・・・ 数年という期間なら、投資対象としてうまく「美味しいとこ取り」ができるかもしれない。株でサヤを抜くように。

しかし、生活基盤の根幹をなす実物資産として長きにわたって住むつもりなら、いずれ起こる可能性が高いリスクを現実のものとして考慮しておく必要があるだろう。たとえ自分の代では無事でも、子供や孫の世代が受け継いだとしたら、いつかは現実のものとなる可能性はグッと高まる。そう考えると、タワマンは「買うもの」ではなく、短期間だけ「借りるもの」なのかもしれない。

戦後日本の焼け跡の風景のように、万一、天変地異などで被災したときは、自分の部屋が建っていたと思しき地べた部分の80㎡を40世帯で分けて、1世帯当たり畳1枚分強の2㎡の中で一家が暮らせるだろうか?人が一人寝るとほぼ一畳なので、一家4人だと横になることもできない。

畳1枚で何人が暮らせるか?

戸建の場合は、公庫ローンの対象なら最低でも100㎡の土地があるから、仮に建物が消失しても100㎡の地べたという実物資産は残るので、テントでも張って一家4人ぐらいが暮らすことは可能だろう。

都会の「摩天楼」であるタワマンは、実は、平和な時代に夢を見るための「蜃気楼」なのかもしれない。最近のタワマンブームを見ていると、そんな気がしてくる・・・

 

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