都知事選落選候補者の「一夫多妻制」論議には批判が殺到したが、逆に現状の「一夫一婦制」の本当の犠牲者は女性ではないか!?

総帥の独り言

都知事選で落選したある候補者の発言で「一夫多妻制」が注目を集めたようだ。「少子化対策には一夫多妻制が有効だ」という趣旨のことをテレビで言ったとか言わないとか。そしてそれに対し、当然のように多くの批判が起こった。そもそもが茶番である今回の都知事選の延長戦での出来事なので、どうでもいいことなのだが、ヒョンなことで「一夫多妻制」が話題になったので、少し考えてみた。

「一夫多妻制」というと、時代錯誤な男の身勝手な暴論、と聞こえるかもしれないが、では逆に、現状の「一夫一婦制」は女性を守るための制度なのか?

そもそも「一夫一婦制」とは、結婚できない男性が多くなり過ぎ、彼らの不満から社会全体が不安定化するのを防ぐために考えだされた人類の知恵である。自然に任せれば「勝者総取り」になるのは、オットセイや猿などの自然界を見れば自明である。 強いオスが全てのメスを手にして、弱いオスは一生、メスなど得られない。NHKの『ダーウィンが来た!』によると、オットセイの世界では、ハーレムをつくって自分の子孫を残せるオスは2割だけで、あとの8割は自分の代で死に絶えていくそうだ。

自然界の摂理に任せるとそういう残酷な結果になる。人間社会でも、法や規範の制約がない時代には、金持ちや権力者たちが力にものをいわせて多くの女性を手に入れていた。それを人類の知恵と忍耐によって封じ込め、「一夫一婦制」を発明し、モテないオスが子孫を残せる確率を上げているのだ。

だから「一夫多妻制なんかにしたら男の好き放題になって、女性はとんでもないことになる!」というのは実は逆で、とんでもないことになるのは、むしろモテない男の方だ。結婚できない男のための制度である「一夫一婦制」で割を食っているのは、本来ならもっといい男と結婚できたかもしれない女性の方なのだ。だから「一夫一婦制」の本当の犠牲者はむしろ女性なのではないか?

「多妻制」の下では妻が何人いたとしても、みな正式な「妻」なので、「一夫一婦制」下でイメージするような「妾」や「2号」のようなものとは違い、全員が対等で平等な「正妻」である。すべての妻と結婚式を挙げて、親族や友人の承認を得る儀式をちゃんと行うのだ。なので、より多くの女性が、強くて有能で美しい男と「正式に結婚」することができるのだ。逆に、多くの妻を公平に扱うことができるだけのキャパシティ(経済力、時間的・精神的余裕、包容力などなど)がある男だけが複数の妻を持つことが許される。

例えば、「一夫多妻制」で10人まで妻帯が認められている社会であれば、キムタクやフクヤマとあと9人の女性が結婚できたはずなのに、「一夫一婦制」下では、その9人は泣く泣くそれ以下の男と結婚しなければいけない。そこまで極端な例でなくとも、身近な職場などでもイイ男ほど早く売れてしまっていて、残った「それ以下の選択肢」の中から選ばなければならない、というのは日常的によくある話だろう。

では正しい「比率」とはいったいいくつなのか?

現状の「一夫一婦制」のように、1対1の比率が本当に正しいのだろうか?「1対2ではダメなんですか?」(これはまた別の落選候補者の話になるのでややこしいが・・・)「1対3ならどうですか?」 それは社会の状況に依拠するのだろう。

仮に、男女の人口比率がきっちり1.00 対 1.00の社会であれば、全ての男女が結婚するためには「一夫一婦制」が理論上、最も合理的だろう。しかし、男の死亡率が非常に高く(例えば戦争などで)、男の人数が女の半分しかいない社会においては、「一夫一婦制」では逆に不平等で、「一夫二婦制」が合理的なはずだ。反対に、女性が半分しかいない社会であれば、当然「二夫一婦制」だろう。

また、男が女を「扶養する」、という前提での結婚制度を想定するケースでは、単純な男女の人口比ではなく、実際に扶養する男の「扶養力」?で比率を決めるのも一つの方法だろう。

実際、現代日本においても、女性が結婚の条件に男性の「収入」をあげることは多い。「結婚相手の年収は、やっぱり1千万円は欲しいよね~!」とノタマウのであれば、「自分は1千万円でいい」ということなので、旦那の稼ぎが1千万円を超えて2千万円になったら、上回った1千万円は別の女性に与えられてもいい、ということではないか?

であれば、「旦那の実年収 ÷ 嫁さんが希望する旦那の年収 = 許容される妻の数」という算式が成立する。「嫁さんが希望する旦那の年収」が1千万円であれば、旦那の年収が1千万円までなら妻は1人、2千万円なら2人、3千万円になれば3人、というように「扶養力」を基準に決めればよいということだ。

と、ここまでいろいろ書いてはきたが、フリンすら許さない不寛容な現代日本社会においては、「今どき多妻制など、前時代的で野蛮な絵空事」ぐらいの感覚で、とても現実的な話ではない、と一蹴されるだけだろう。

しかし、現在でも、多妻が認められているイスラム教徒が多いサウジアラビア、エジプト、ドバイなどのほか、アフリカ諸国の多くで「一夫多妻制」の社会が実在する。

さらに、ここ日本でも、つい百年ほど前の1898年(明治31年)までは「一夫多妻制」が認められていたのだが・・・

石〇さんも、このブログでも読んで、もう少しちゃんと考えてから話せば、少しは理解が得られたかもしれないのに(笑)

 

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