漫画『釣りキチ三平』や『釣りバカ日誌』など、とかく「釣り好き」に対する形容は、「キチ」とか「バカ」とか、あまり芳しいものではない。
ゴルフ好きの『ゴルキチ三平』や、キャンプにハマってる人の『キャンプバカ日誌』という漫画はない。

「ゴルキチ三平」はいない?
逆に言うと、それだけ釣りには「ハマりやすい」ということなのかもしれない。
「一生幸せでいたければ、釣りを覚えなさい」という中国の諺もあるそうだ。
それだけ釣りに魔力がある理由は何なのか?おそらく、人類のDNAに刻まれた太古の記憶なのではないか?と私は推測している。

大昔、魚が獲れるかどうかは、文字通り死活問題であったはずだ。魚がたくさん獲れた日は、みんなで喜んでおいしく食べたに違いない。逆に、一匹も獲れなかった日は、みな空腹を我慢して暗い顔をしていたのだろう。
だから令和の現代でも、釣りあげた魚を見ると、自然とみなヘラヘラと笑う。子供だけでなく、いい歳をした大の大人が、わけもなく、みな笑う。
テレビの釣り番組を見ていても、魚が釣れた瞬間は、イカツイおっさんも、スカした兄ちゃんも、みな一様に意味もなくヘラヘラと笑っている。
「童心」より遥か昔の「古代の記憶」に戻って、大脳旧皮質の反応で、大人も子供も、反射的に笑顔になっている。魚が釣れてしかめ面をしている人を私は見たことがない。

なので、一度、釣りの楽しさを知ると、人類のDNAに刻まれた遠い記憶が呼び戻され、簡単にはそこから抜け出せなくなる。
だから、寒くて暗い夜中や、強風で揺れまくる船の上で、ひたすらブルブルと竿を伝ってくる魚の感触を追い求めて耐える、などという苦行を平気でやるようになる。
その姿を客観的に周りから見ると、「釣りキチ」や「釣りバカ」というふうに見えるのだろう。本人たちは、本能に動かされて、苦痛とも感じずに、ただ無心にやっているだけなのだが・・・
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