厄年である。
今年から「前厄」に入っていた。どうりで、いつもなら考えられないような悪いことばかり、年初から続く。
●まず、2月に人生で初めて行った白内障手術の術後が良くなくて、いまだに後遺症に悩まされている。
●眼のほかにも、整形外科、呼吸器科、泌尿器科、心臓外科、耳鼻科等々、色んな医者を今年は駆けずり回った。加齢とともにあらゆるパーツが順番にガタがくるのを実感する。
●日経平均が5万円を超える歴史的大相場のなかで、逆に大きくやられる。
●仕事でも、大事なところで判断が逆、逆になり、大きなチャンスを逃す。
●子供の交際問題で揉める。
●食洗器が壊れて台所が水浸しになる。
●そして先日、命より大事な?アジングロッド(アジ釣り用の竿)を失くす。それも2セット同時に!

大事な釣り具をなくす大失態を
釣りを終えてクルマに道具を積み込んでいた時、最後にロッドを積もうとクルマの横の木に2本立てかけていたのを忘れて、そのままトランクを閉じて走り去ってしまったのだ。あとで取りに戻ったが既に影も形もない。買って1年もたってない自分史上最高ランクのアジングロッドとリールのセットだったのに・・・
こんな調子で、公私にわたり、心身ともにダメージを受け続けるので、このままではとても精神が持ちそうにない。
無宗教だが縁起は担ぐ
もともと、何の宗教にも入っておらず、無神論者であるが、「縁起」はことごとく担ぐ。
なので日本古来の伝統行事は全てやらないと気が済まない。お正月の初詣に始まり、節分の豆まきから、大晦日の年越しそばまで。
すべて何らかの理由があって今日まで続いてきたものだろうから、効果のほどはさておき、やれるものは何でもやっておこう、というノリだ。
「厄年」もその一環として、人生の重大イベントの一つだ。なので、前回の42歳の厄年の時は、それこそ大騒ぎだった。

写真はイメージです
「来年は厄年だからちゃんとお祓い行かねば!」「お札を買ってきて一年間、ちゃんと飾らねば!」「とにかく厄年だから!」と。
そして厄年を機に、それ以降、毎年、氏神様である?千葉神社で夏にお祓いを受けるようになった。
毎年、お祓いを受けに行くと「三宝徳積之證」と呼ばれる木札に赤いシールを1つ貼ってもらえる。これが10個貯まっていっぱいになると、階級が1つ上がって新しい木札がもらえる。
その木札がまたシール10個でいっぱいになると、更に階級が1つ上がる、という仕組みで、一度始めるとなかなかやめられない良くできたシステムだ。
ちなみに私は、現在、2階級目の「朱雀階」という階級のようだが、死ぬまで毎年続ければどこまで出世?するのだろう?

前回の厄年から毎年お祓いを受けてる
厄年は日本人だけにある??
前回の厄年は大騒動だったのに、今回はほとんどノーマークだった。恒例の夏のお祓いの時に初めて今年が「前厄」に当たることに気づいたが、時すでに遅し! である。
厄年の由来を詳しくは知らないが、日本人固有の体質に基づく先人の経験的な知恵の集積だと漠然と理解している。ガイジンには厄年はないのだろうから、日本人の食文化や、それに基づく体質、そして平均寿命などから算出されたのかもしれない。

「前厄」の今年でこれなら、来年の「本厄」ではどうなるんだろう!?と気が重くなる。ちゃんとお参りに行って、お祓いをしてもらって、お札を毎日拝んで・・

千葉神社のお札をちゃんと拝まねば
それでもこのペースでいくと、「後厄」が終わる2年後まで、無事に生きていれるかどうかすら心もとない。
厄年をナメたらアカン!
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