日常会話において、関西人としては、会話の最後が「だよね~」だけで終わると、何かモヤモヤして、不安ですらある。そのあとに何か面白いことを言って、きちんと場を締めないといけない、という気になる。一方、「なんでやねん!」で会話がきれいに締まると、スッキリする。
例えば、関東人どうしの会話だと、
A「先週行ったあの店、すごくおいしかったよね~」
B「だよね~」
と、①事実の報告、②それへの共感の表明、だけで許される。
一方、関西人どうしの場合は、
A「先週行ったあの店、めっちゃうまかったよな~」
B「そうそう、あんまりうまいんで、1週間で100回行ってきたわ!って、なんでやねん!」
となる。この場合は、①事実の報告、②ボケを交えることで共感していることをさらに強調する、③最後は自分でノリツッコミ(注)で締める
ところまでキチンとやって、初めて会話として許される。
(注)「ノリツッコミ」とは、自分がボケて、誰もツッコんでくれなくても、自分でツッコんで落とすこと
「なんでやねん」と双璧を成す二大接尾語「知らんけど」
この「なんでやねん!」で会話を締めるパターンが関西人の王道であり、ほぼ会話の接尾語に等しい。そして、それと双璧をなす二大接尾語が、あの有名な「知らんけど」である。
こちらのバージョンは、自らボケてノリツッコミで落とす、とういうような明るい内容ではなく、どちらかというとやや真面目なことを話している時に、最後のリスクヘッジや、ディスクレーマー(免責事項)として使われることが多い。
先程の例でいうとこんな感じか。
C「先週行ったあの店、めっちゃうまかったよな~」
D「そうそう、あんなにうまい店やから、来月、隣の駅にも出店するらしいで。シランケド」
ほぼ確実な事実であっても、最後の接尾語として必ず「知らんけど」がつく。
歩いている人に道を教えてあげる時も、
「あんたらどこ行かはんの?
あぁ、その駅やったら、
あの交差点を右に曲がって、その先を真っ直ぐ行ったら左側にあるわ。
シランケド」
という具合に、100%正しい情報でも「知らんけど」なのだ。自分から声を掛け、主体的に教えにいったとしても、最後は他人事なのだ。
関西人の会話の語尾は、この二大接尾語でほぼ7割を占める。なので、この二つさえ使いこなせれば、ネイティブの関西人にグッと近づけるはずだ。
ただ、実際にネイティブ並みに使いこなすのは、かなりハードルが高い。
うちの子供たちは生まれも育ちも関東だが、両親がともに関西人なので、家庭内では関西弁が標準語、という環境で生まれ育った。なので、「関西弁とのバイリンガル」になるには極めて恵まれた環境で育ったにもかかわらず、家庭内で彼らが使う「なんでやねん!」は、ネイティブの私からすると、やはり違和感が否めない。
なので、関西人相手に安易に生半可な「ナンデヤネン」や「シランケド」を使うと、
「おまえ、『知らんけど』って、なんでやねん!」
と怒られるかもしれない。
知らんけど・・・