生物は、遺伝子に利用される「乗り物」に過ぎないそうだ。
前世代から受け継いだ遺伝子を次世代へつなぐための存在。自分は、親から来た遺伝子を子に運ぶための「乗り物」。個体は死滅しても遺伝子だけは宿主?を替えて生き続ける。そして少しでも多く自分の複製を作るために、宿主である人間の中に、遺伝子は様々な仕掛けを作っている。
人生は所詮「入れる快感」と「出す快感」
煎じ詰めれば人間は、「入れる」時と「出す」時に快感が生じるような仕組みになっている。
入れる=インプット、学び、五感の刺激
出す=アウトプット、伝える、発散、汗や声などの物理的発出
おいしいものを「食べる」、美しいものを「見る」、いい香りを「嗅ぐ」、美しい音楽を「聞く」。すべて五感の感覚器官を通じて脳に刺激が伝わり、脳がそれを「快感」と認識する。そして「快感」と認識された信号は、その行為を助長し、繰り返したくなり、反復することでその個体が進化する。あるいは、種が生き残り保存される、というプログラムになっているはずだ。
逆に、苦いものや臭いものを口に入れると反射的に吐きだそうとするのは、それらは毒であったり腐敗している場合が多く、個体にダメージを与える可能性が高い。だから「苦い」「臭い」ものは「不快」と感じ、自然と忌避するようにできている。
だから、種を保存することを最優先する「遺伝子の乗り物」に過ぎない人間の人生は、全て「快感」を増やし、「不快」を避けるようにプログラミングされている。
そして、快感のスイッチは「入れる」と「出す」、すなわち「インプット」と「アウトプット」の場面に多く仕掛けられている。それをあたかも自分の意思でやっているかのように思っているが、もともと「入れて出す」ように仕向けられているのだ。
具体的には以下のようなものか(やや強引なものもあるが・・・)
【入れる快感】
・本を読んで感銘を受ける
・映画を見て感動する
・ゴルフボールをカップに「入れる」
・釣った魚を網に「入れる」
・釣りの仕掛けをポイントに「入れる」
【出す快感】
・排泄する
・本や映画で感動の涙を流す(鼻水も)
・感動した本や映画の感想を人に伝える
・サウナで汗を「出す」
・カラオケで大声を「出す」
・ゴルフクラブでボールを「打ち出す」
・たき火で炎や煙を「出す」
・クルマのスピードを「出す」
何もインプットしなければ何も出てこない。ブログの記事などその最たるものだろう。何の外的刺激もない独房に長く籠っていれば、すぐに書くネタは尽きるはずだ。
自分の中にいろいろなものを取り込んで、それらを全て脳の中で熟成させ化学反応を起こし、そこから醸し出されたアイデアや思想を外部に対して発する。そういう意味で人間とは「発酵装置」のようなものかもしれない。そして、その発酵プロセスを支えているのが「入れる快感」と「出す快感」なのではないか。どちらか一方だけではダメなのだ。
「入れる快感」だけだと、あらゆるものを吸収して、本人は楽しく気持ちいいかもしれないが、それだけで終わってしまう。「出す快感」があって、それを他の人に伝え共有することで人類全体の生存と進化につながる。
逆にインプットがなく「出す快感」だけでは、独房の例のようにいずれ尽きるし、内容も薄っぺらいものとなる。
そして「入れて出す」を同時にできる性行為は、最強の「快感」として位置づけられ、種の保存の根幹をなすようにちゃんと仕組まれている??