まだ「ワークライフ・バランス」などという言葉も概念もなかったバブル期には、いい生活をしたければ、「バリバリ働いて、ジャンジャン稼ぐ。そしてドンドン使う」というシンプルな価値観だけが世の中を支配していた。
CMで「24時間、戦えますか?」と煽られ、「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」という、かつて一世を風靡した?リゲインのCMを地で行くように、「新人類」と呼ばれた我々バブル世代も、社会人になったら当然のようにハードワークを受け入れていた。
あのCMを、今のホワイトな令和の「FIRE世代」が見たらどう感じるのだろうか?
「稼いだカネでハイソカー(注)を買って、愛人と別荘に行こう!」と、頑張って働いて、クルマ・愛人・別荘のすべてを手にしても、結局、仕事が忙し過ぎて時間がなく、
「乗れないクルマ、会えない愛人、行けない別荘」
になるという笑い話が、当時の外資系ディーラーたちの間で流行っていた。
(注)「ハイソカー」:ハイ・ソサエティ・カー(High society car)の略。バブル期に流行った上流階級的なイメージを持つ国産車の総称。あくまで「的」であり、ベンツやBMWのような外車や、「センチュリー」や「プレジデント」のような本当の上流階級御用達のクルマではない。代表例は「ソアラ」や「シーマ」など。現在ではクルマ・単語とも絶滅。
自分で働いて稼いでいる限り、「カネ」か「時間」かどちらかしか手に入れられない。たくさん稼ぐためにたくさん働いていたのでは、「カネ」を使う時間がない。「時間」が欲しければ自分ではなく、「カネ」自体に働いてもらうしかない。だから今は、「カネ」に働かせる「FIRE」(Financial Independence Retire Early:経済的独立と早期退職)が流行る。
しかし「FIRE」は、資産を作ったあとも結局、一生「ケチる、回す(運用する)」という生活が続く。フロー収入がないので、1億円程度の資産では、まるで年金生活の老人のように、残額を気にしつつ若い頃から死ぬまで暮らし続けなきゃならない。とても「王様のように遊ぶ」気になんてなれないだろう。
実際、年金生活に入った先輩たちは、それまで羽振りのよかった人たちも一様に、「いったい、どうしちゃったんですか?先輩!」というぐらいセコイ生活を送るようになる。自分で稼がない、稼げない、というのはそれぐらい精神的な余裕をなくすのだろう。
時間とカネの「人生アロケーション」を
「時間」と「カネ」のトレードオフ問題は永遠の課題だ。
アラ還になって残り時間が限られてくる中で、死んだら何の意味もない「カネ」を稼ぐというくだらない目的のために、残りわずかな貴重な「時間」をどれだけ振り向けるのか?
資産運用と同じように、「時間」と「カネ」についても最適な「人生のアセットアロケーション(資産配分)」を考えなければ、死ぬ瞬間まで「カネ」を追いかけ続ける、あるいは逆に「カネ」に追われる、という馬鹿げた人生になりかねない。
「カネ」についてはファイナンシャル・プランナーなどが詳細にシュミレーションしてくれるし、自分でも、現在の残高や、死ぬまでに必要な金額の概算ぐらいは分かる。
しかし、「時間」については、「残高」すら正確には分からないこともあり、ほとんど真剣に考えず無駄遣いをする。
ホントは「カネ」なんかよりずっと貴重な資産なのに・・・