「大目に見る」という言葉が死語と化した不寛容社会ニッポン

総帥の独り言

「3年目の浮気ぐらい大目に見ろよ〜♪」と伸びやかに歌っていた昭和から、平成、令和と「失われた30年」を経て、コンプラと不寛容が蔓延する社会になった。

「浮気」は、「不倫」なる恐ろしい単語となり、あるまじきものとみなされ徹底糾弾される。「大目に見る」という言葉は死語と化し、下手をすれば概念そのものも絶滅危惧種だ。

冒頭のデュエット曲はカラオケに行くと今でもたまに聞くが、それ以外の日常生活において、「大目に見る」という言葉を聞いたり、使ったりする機会は、ほとんどなくなってしまったのではないか?

なんでもかんでも白黒をはっきりさせないと気が済まず、イエスかノーか? ゼロか100か? オール・オァ・ナッシングの欧米文化と異なり、日本が誇る「曖昧の文化」の根幹を担う「大目に見る」という古き良き風習が瀕死状態だ。

「今回は大目にみるけど、次からはちゃんとやれよ!」と、一度や二度は「お目こぼし」をする寛容な対応が許されなくなり、全て「一発アウト!」の世界になった。たった一度の小さな過ちも許されない、肩の凝る、息苦しい社会。

「今回だけ大目に見てくださいよ~」と甘えるなど到底許されない。大目に見て、そのことが後々、逆に自分が非難の対象となることを怖れ、どんな些細なことでも、

「事実認定 ⇒ 原因究明 ⇒ 再発防止策構築 ⇒ 謝罪」

という一連の『不祥事対応パッケージ』が要求される不寛容社会。

件のデュエット曲では、「大目に見てよ〜♪」と男に言われた女性は、

「両手をついて謝ったって許してあげない!」

と口では言う。しかし、内心は、

「しょうがないわね~ 今度だけよ。次からは許さないからね!」

と思ったうえで二人でイチャついている、というのが実態だ。

これぐらいの懐の深さはお互いに欲しいものだ。

対外的な形式要件を満たすため、仕方なく表面上は厳しい対応はするが、実際のところは許している。こんなふうにして、今の日本社会の閉塞感を打破すべく、みんなで少しずつ「大目に見て」はどうだろう? 口では、「両手をついて謝ったって許してあげない!」と言いつつ。

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